和田みつひと 作品 /Mitsuhito Wada works 2000

「仕切り、囲まれ、見つめられる」

『空間体験:[国立国際美術館]への6人のオマージュ」

国立国際美術館(大阪)

『空間体験:[国立国際美術館]への6人のオマージュ」

  • 会期:2000年6月15日~7月16日
  • 会場:国立国際美術館
  • 主催:国立国際美術館
  • 協力:ダイハツ工業(株)/(株)中川ケミカル
  • 協賛:(財)ダイキン工業現代美術振興財団
  • 出品作家:寺内曜子、祐城政徳、平松伸之、和田みつひと、リヴァーニ・ノイエンシュワンダー、前沢知子

 

「仕切り、囲まれ、見つめられる」

『プラスチックの時代|美術とデザイン』

埼玉県立近代美術館(埼玉)

北浦和公園に入ると公園の奥に埼玉近代美術館が見えてくる。美術館の建物までたどり着くと、入口の円筒形の自動ドアが黄色い光を放っていることに気づく(あるいは気づかない)。これが、和田みつひとの本展出品作品《「仕切り、囲まれ、見つめられる」エントランス》である。もちろん、すべての人がこの状況を「作品」として認識するとは限らない。従って、それはまず観察の対象として意識されるか、あるいは全く意識されないかのどちらかである。しかし、目立たなくなるような細工が施されているわけではない。誰もが通る自動ドアを透明色の黄色いシートで覆っているのである。これだけ目立つ作品でありながら、これを意識しない場合があるということは、意図的に目立たなくされた作品に気づかない場合とはケースが異なる。作品とは意識しない人も、まちがいなくその目でこのドアを視界に捉えているはずである。「目に入っている」にもかかわらず「見えない」のである。「見る」ことが、いかに能動的な行為であるかがわかるだろう。なお、この自動ドアは出口でもある。展覧会場のガラスケースを利用した和田の作品を見た後では、このドアを利用した作品を意識する確立がより高くなっているはずである。

この作品の特徴として、ドアを利用したことが挙げられる。和田はこれまで内部と外部を仕切るガラス面に透明色の黄色いカッティングシートを貼るタイプの作品を手がけているが、内部と外部を行き来するために設けられた、開閉可能なドアへの注目は、必然的な展開であったといえよう。さらに、当館の出入口のドアが円筒形の二重構造であることが、今回の作品においては、さらに効果的に作用している。押したり引いたり、あるいは横にスライドすることで開閉という機能を果たしているごく普通のドアの場合、内部と外部は単純に壁状に仕切られる。ところが、円筒形の二重構造のドアの場合、外側に属するドアと内側に属するドアに囲まれた独立した空間が存在する。しかも、この独立した空間は、外側のドアが開けば外の空間に属し、内側のドアが開けば内部の空間に属すことになる。視覚的な面からいえば、スライドしたドアがガラス面に重なる時に、ガラスが二重に重なる効果も現れる。また、わずかの時間でも、両方のドアが閉じられた時に完全な閉域に囲まれる感覚が生じることも見逃せない。

最後に、もうひとつの重要なポイントとして、ドアの内部にある照明が果たす役割も挙げておきたい。内部と外部を隔てるガラス面を利用した作品の場合、ガラス面を介して射し込む外光が内部の空間を黄色く染めることになる。ところが、この作品の場合は、二重構造のドアを介して外交が射し込む仕組みは同じであるが、ドア内部の照明が内側からこの空間を黄色く発行させる効果がこれに加わることになる。特に、夜間はひときわ明るく光り、ドアの内部に黄色のガスが充満しているようにさえ見える。このように見えている時、ドアは内部と外部の境界の機能を果たすというより、ひとつの独立した空間としてその存在を主張しているようである。ドアを利用したこの作品においては、和田の作品の新たな可能性とともに、和田が扱うべき問題の多様さも、同時に示されているといえるだろう。

 

梅津 元『プラスチックの時代|美術とデザイン』展図録Ⅱ部p.62埼玉県立美術館2000年

展示室に入り中央あたりまで来ると、通路の向こうに黄色い光が見えてくる。第1室と第2室をつなぐ通路を通る時に、この黄色はちょうど正面に見えている。第2室に入るにつれ、黄色い光が漏れてくるのは、長い壁面の開口部からであることがわかる。この開口部は、第1室と第2室をつなぐ通路の間口と同じ幅に設定されている。このコンセプトを尊重するため、第1室と第2室をつなぐ通路と和田作品の開口部をつなぐ領域には他の作品を一切展示しないこととしたため、既存の建築空間に潜在する空間の分節がより明瞭な形で把握できるようになっている。和田の作品においては、表面的には透明色ないし蛍光色の黄色いカッティングシートの利用が目立っているが、より本質的には、空間の分節を顕在化するアプローチがなされていることにコンセプトの重要さを認めることができる。

開口部から内部に足を踏み入れると、左右に長い廊下のような空間が伸びており、正面の壁面に組み込まれているガラスが黄色く発光している。和田みつひとの本展出品作品《「仕切り、囲まれ、見つめられる」展示ケース》である。開口部から漏れていた黄色い光の正体は、このおよそ34mにおよぶ展示ケースのガラスの全面に貼られた透明色の黄色のカッティングシートである。なお、この展示ケースは、主に掛軸や屏風などの日本画を展示するために設置されているもので、使用されない時はパネルで覆われている。ここでは、壁に掛けられたり、床に置かれたりする「もの」としての作品は、一切なく、ただ黄色い光が、本来は展示のための機能を有している展示ケースの内の空間を満たしている。ガラスに相対する壁面は、黄色い光を受けてうっすらと黄色く染まり、この場にいる人もまた、黄色い光を浴びることになるのである。作品を「見る」という行為は、「ものを見る」こどではなくなっており、黄色い光に満ちた空間に自分がいることを認識し、この場所を「経験」することを意味している。こうして和田が設定した空間への働きかけは、見る者の知覚にある作用を及ぼすことになるのである。

最後に色についても触れておかなければならないだろう。和田によれば、透明色はもちろんのこと、蛍光色も物質感をあまり感じさせず、また、黄色は感情や意味といった重さを持たないため、この色が選ばれているという。黄色が感情や意味といった重さをもたないかどうかについては簡単に判断を下すことはできなが、蛍光色の黄色が非物質的な印象をもたらすことは確かである。和田は自明のこととして明言していないと思われるが、こうした意図をふまえれば、意味を帯びざるをえない自然物や物質感の強い金属などを素材として採用せず、プラスチック(塩化ビニル)という人工的な素材が選ばれたのも当然のことといえるだろう。また、プラスチックにおいては、事後的な着色ではなく、物質と色彩が一体化していることも重要である。だからこそ、色彩として認識されることに比重がかかる色を選択すれば、物質としての存在感を希薄にすることができるのである。和田の作品の根幹をなす、空間の分節による見る者の知覚への働きかけにとって、物質と一体化した色彩を実現できるプラスチックは、不可欠な位置を占めているといえるだろう。

 

梅津 元「プラスチックの時代|美術とデザイン」展図録Ⅱ部p.63埼玉県立美術館、2000年